感性と感謝
先日、とても嬉しい出来事がありました。
小さなきっかけから、急に高校の同級生とプチ同窓会をやることになり
都内に住み、2児の母となった同級生のお宅へお邪魔してきました。
17~18年ぶりに会う友人達ばかりで、美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、みんなで近況報告会。
クラスメートや恩師たちの嬉しい話も、悲しい話も聞けたのですが、
その日は仕事先からお邪魔したこともあり、ギターも持っていたので
僕自身の一番良い近況報告と美味しい料理、そして楽しい時間を作ってくれた感謝も兼ねて2,3曲演奏しました。
まだまだあどけない顔をした同級生のお子さん達も演奏を聴いてくれました。
じ~っと指さばきを見つめたり、音楽に合わせて走り回ったり、とても楽しそう。
アウトリーチコンサートでは、子供の素直なリアクション(つまり楽しければ嬉しそうな反応、退屈ならつまらなさそうに・・・)が返ってくると言われていたのですが、まさにその通りですね。
いわゆる演奏家としての仕事の場ではなかったけど、同級生やその大切なご令息(というかまだまだ無邪気でかわいらしいお嬢ちゃん達)の心に届くような演奏が出来たのかな?と思い、
そんな人達との久しぶりに会えただけでなく、そんな楽しい時間を持てたことにも感謝しつつ、またの再会を約してお開きに。
帰宅後、同級生から「うちの娘、ピアノを習っているけど、普段は1時間も集中出来ずに練習止めちゃうのに、今夜はもうかれこれ2時間近く弾き続けてるの。びっくり!」というメール。
僕も、10代の苦楽を共にした同級生達から元気をもらい、帰宅後遅くまでずっと練習していたんですが、
お嬢ちゃんの感性に届く演奏が出来たかと思うと、ますます練習意欲をかき立てられ、あっという間の楽しい一日でした。
久しぶりに、演奏家としての大切なことを思い起こさせていただいたような出来事でした。
留学していた頃、自分の練習も忘れて、いろんなコンサートを聴きに行ったものですが、
それが「良い演奏」であればあるほど、その後の時間を忘れて練習に没頭していたことを思い出しました。
僕が子供の頃、ギター見本市の場でいろんな人がニコニコして演奏を聴いてくれるのが嬉しくて、何曲も何時間も弾いていたことも。そんな頃の気持ちが久しぶりに甦って来ました。
世の中、そんな無邪気な気持ちだけでは、演奏家(=仕事という意味)として生活していけないことも事実ですが、
でも、弾きたい!と思う感性と、聴いてもらえることへの感謝を忘れちゃいけないんだなあ、と改めて思える出来事でした。
感性と感謝を忘れずに、演奏家として意味のある仕事をして行きたいなあ、と改めて感じる出来事でした。
みんな、ありがとう!
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