「日本と世界の差」ってそもそもなんだろ?
オリンピックを見ながら考えてみました。
TVでアナウンサーが時々発する「世界との差」という言葉に違和感を感じるのは僕だけでしょうか?
柔道の男子選手がなかなか金メダルを取れないですね。
世間で言う「世界」、つまり日本以外の地域でも柔道が普及するように活動してきた結果、
本家本元の日本人達が他国の選手に圧倒されることも現実問題として起きているということではないか?と思います。
だって競技人口NO.1の国はフランスらしいですから。
古代から日本は外国(特に中国)からいろんなことを学んできました。
それは地理的に開かれた方角が西側だったこと。そして物も人も、そして知識も西側に位置する大陸からしか流入してこなかったからでしょう。
確かにその頃は、「日本と世界」には”差”があったかもしれません。(もちろん全ての面において、と断言するつもりはありません。)
今や、インターネット等で国境と言うものが存在しないかのごとく、人や情報の往来は激しくなっています。
同時に「日本人」という枠を越え、選手同士で切磋琢磨し、競い合った結果が
サッカー男子がスペインを破ったことであり、柔道の男子が金メダルを取れてないことなんじゃないか
決してグラスゴーの「奇跡」ではないし、日本柔道の惨敗ではないと思います。
サッカーにおいてスペイン=強豪国、日本=弱小国、柔道において日本=先進国、他国=後進国ではもはやないでしょう。
今の時代、「日本と世界との差」という見方は、遣隋使・遣唐使の時代の認識を持ち続けていることじゃないか。
つまり最先端の情報が入ってくるのは日出ずるところ位置する島国だ、との考え方はもはや時代遅れじゃないか。
柔道の場合は、日が没する国々へ良さを伝えて行った成果が結実している、と見るべきじゃないか?と
話が逸れてしまってますね。つまり何を言いたいか?
もはや今の社会では、国同士の差ばかりを意識する時代ではなく、個人個人の存在を大切にして欲しいということです。
イチロー、松井、ダルビッシュだって、日本の野球レベルが低くて出て行ったわけじゃないと思います。活躍の場を世界中の選手が集うメジャーリーグに求めていったのでしょう。
人の活動範囲が大きく広がった結果でしょう。
もちろん国の誇りを持って戦うことが悪い!とは思いません。自国の選手が活躍すると誇らしい気持ちになるのも事実です。
ただオリンピックは(国のサポートを受けながらも)個人個人が技を磨いてきた成果を競い合う場のはずです。
日本の金メダル数が・・・なんていう価値観で、国同士の優劣を決めるのではなく、もっと選手個人が練習・努力してきたことに賞賛を送りたい、そうであって欲しい!と思っているのは僕だけでしょうか?
今日は柔道最終日ですね。選手には悔いのない戦いをして欲しいです。
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