”参加すること”に意義はあるのか!?
7年後の東京オリンピックが決まって数日が経ちました。
賛否両論ありますが、生きている間に現在自分が住んでいる街でオリンピックが開催されるというのは
嬉しいことでもあります。超一流のアスリートたちが凌ぎを競い合う場が、目の前で繰り広げられることは
今からとても楽しみです。
ところで、改めてオリンピックって、そもそもなんだっけ?って調べてみました。
一時期、”芸術競技”なる分野もあり、その種目には「絵画、彫刻、文学、建築、音楽」もあったそうですね。
そもそもスポーツという言葉の定義が「身体や頭脳を使った行為」ですから、フィジカルなものでなく、マインドを使った芸術性を競う種目があっても変ではないですね。
実際にシンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートなどは、その一種でしょうから。
話しを戻して、、、
「参加することに意義がある」って言葉があるわりに、
早速、金メダル獲得目標を過去最高数にする!メダル獲得の為の強化・支援を充実させる、なんてことを言い始めましたね。
目標は高く!というのは当たり前の話。コンクールでも、結果はともかく、受けるからには最高の成績を収める心積りで受けなければ、何の意味もありません。
トレーニングを安心して行うには、いろんな意味でのサポートも必要ですが、それはメダル獲得云々ではなく、本当の意味で努力している人達の為に行われるべきでは!?
ってことで、参加することに・・・って言葉を残したと言われる、クーベルタン伯爵について調べてみたら、
こんなサイトがありました。→ クーベルタンが未来に託した理想
真意は「理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事」ということだそうです。
参加までの過程、オリンピックに参加するまで、つまり”努力をすること”を最も大切にして欲しい
ということですね。サイト内にも「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」という記載もありますね。
スポーツでは、試合に出ると多くの場合その優劣が目に見える形で結果として出ます。
それは仕方がないことだと思います。
ただその日に向けて努力をしてくれば、勝者も敗者もお互いに対する”敬意”を感じるでしょう。
他人には分からない、血のにじむような努力をしてきたわけですからね。
そこには結果(勝敗)なんてちっぽけなものは超えた何かがあるはずです。
なんでも、”効率良く生きる”ことが称賛され、そればかりに気が逸る世の中になりつつあり、コツコツ努力することがいかにも無駄なことのような風潮になりつつあるような雰囲気を強く感じているのですが、(僕だけ?)
7年後が「開催することに意義があった・・・」なんてお祭り騒ぎに、そして現在懸案になっていることは何も変わらなかった、なんて結末にならないで欲しい。
オリンピックを行うことで、どのような国の未来を切り開いて行くのか・・・
明るい未来の先に、一流の技を競い合う”アスリートの祭典”があって欲しいし、
それを目の当たりにした子供達が、「僕も、私も、何か好きなことを頑張ろう(=つまり努力しよう)!」って思ってくれる日が来てほしい! そんな夢を持って7年後を待ちたいですね。
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