あの日から
62年も経ったんですね。今日はそんな特別な日です。
年月が経つと人の思いも変わっていってしまい、どうしても平和について考えさせられることも少なくなってしまう、なんてこともあるかもしれません。長崎出身の私にとっては、どうしても8月のこの時期になるといろいろと考えさせられてしまいます。
今年は8月9日に演奏をする機会が得られたのですが、このところいろんなことがあったせいか、演奏前日からいったい何の為に、誰の為に演奏をしているのか、よく分からなくなり、苦しんでいました。
もちろん”世界平和のために!人類のために!”なんて偉そうなことは言いません。でも、今日こうやって演奏を出来るのは、日本があの悲しい歴史を乗り越えて今があるから、今こうやってコンサートを出来るんだなあ・・・と思いました。きっと8月9日という特別な日だったから、そういう思いが浮かんできたのかもしれません。
じゃあ、誰のために?って自問自答したのですが、やはり”自分の演奏を楽しみにしてくれている人たち”のため、ですよね。その日聴きに来てくださる人たちもそうですが、来場は出来なくても遠くから見守って下さっている人たちも含めてです。舞台上で悪戦苦闘しては、がっかりですよね。そう思えた瞬間少し肩の力が抜けた気がしました。
”演奏を楽しみにしてくれる人”と考えていると、ふと亡くなったおじいさんを思い出しました。思い出の多いおじいさんで、本当に苦しい時、悲しい時、心の中に何気なく現れてくれる、そんなおじいさんなのです。
私が小学4年生の時に亡くなったのですが、62年前のあの日の影響は少なからずあったそうです。そのおじいさんが亡くなる前に”孫の弾くギターが聴きたい!”としきりに言っていたそうです。きちんと聴いてもらったことってあったっけなあ・・・。
そんなおじいさんの言葉を思い出した瞬間、なんだか無我夢中にギターを弾いていた子供の頃を思い出したような気がします。もちろん演奏に満足することなんて生涯ないんだろうけど、気負い過ぎていた自分がいなくなったように思えました。
これから演奏するたびに、こんな自問自答を何度も繰り返すんでしょうね。でも、悲しい出来事があった時も近くから、そして遠くから支えてくれる人たちの心を忘れなければ、乗り越えられると信じています。いつまでも平和を願う気持ちと同じように、変わらないようにしておきたいものです。
おじいさんが亡くなってもう20年。私がこの世に生を受けてもう29年か・・・。
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